国家の一生 2011 7 23

 人間に一生があるように、国家にも一生があります。
「農業国家→教育国家→工業国家→金融国家→観光国家」
 日本は、「工業国家」をやめて、
「金融国家」を目指すという選択肢もありますが、
サブプライム危機に続くリーマン・ショックで、
数多くあった金融国家が、どうなったか知っているでしょう。
今なお、後遺症を引きずっています。
 さらに、ギリシャ危機に代表される欧州の財政問題は、
対応を誤れば、第二のサブプライム危機となるでしょう。
 サブプライム危機の時は、
優良な金融商品でも、わずかでもサブプライムが含まれていれば、
その金融商品は価値がつかないものとなってしまったのです。
 高度な金融工学によって、金融商品のなかに、
少量のサブプライムを混入させたのです。
 不動産バブルの時は、それがスパイスのように効いて、
金融商品を魅力的に引き立てたものですが、
不動産バブルが崩壊すると、
スパイスどころか毒素のようになってしまったのです。
 さて、菅政権は、どこを目指しているのか。
「農業国家→教育国家→工業国家→金融国家→観光国家」
 おそらく、結果的に、観光国家や農業国家を目指していたと、
歴史家が指摘することになるでしょう。
「彼は、教育国家にも工業国家にも興味がなかった。
ましてや苦手科目の金融は考えもしなかった。
自分の能力で統治できる規模まで、日本を縮小させようとしていた」と。
 「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画がありますが、
菅政権は、結果的に、あの時代の日本を目指していたのかもしれません。

憂国 patriotically-minded man 2005 12 23
 何度も何度も書いていますが、
人間に一生があるように、国家にも一生があるのです。
「農業国家→教育国家→工業国家→金融国家→観光国家」。
 かつて、日本では、総合商社ですら、「虚業」と言われたのです。
それは、工業国家の日本としての誇りが、そう言わせたのでしょう。
 世界を見渡せば、
「製造業が衰え、典型的な金融国家になってしまった国」があり、
あるいは、「現在進行形で、金融国家になりつつある国」もあります。
 日本も、金融国家になってしまうのか。
いや、日本は、金融国家にもなれないでしょう。
世界に、金融国家は、そんなに必要ないし、
金融国家にも、「定員」というものがあるでしょう。
 日本は、あの花火のように燃え尽きて終わるのか。
ああ日本よ、右翼でなくても、憂国という言葉を使いたくなる。
 日本には、「憂国の士」は、いなくなってしまったのか。
サムライの国と呼ばれたのは、もはや昔になってしまったのか。
































































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